年表(現代社会への流れ)
サイズ:     
独断と偏見で、現代社会に至る、主要な歴史の流れを整理してみたいと思います。
あまりにも歴史を把握していないので、一回自分で整理しておかないとマズイな、というのが作成の動機で、主に高校参考書とwikipediaを参照して整理しています。

まだ着手して間もないのであっちこっちスカスカですが、ジワジワと埋めていきたいと思っています。
sub  

Loading ...

年表(全体)

紀元前
0年
200年
400年
600年
800年
1000年
1200年
1400年
1600年
1800年
2000年
全体(時間軸なし)   folder   plan
全体(時間軸なし)   folder   plan
ーー<人類発展の流れまとめ>ーー

(〜19世紀)
- キリスト教に引張られて、西洋文明が発達、世界に伝播

(20世紀:工業・資本の時代)
- 資本主義の発展と工業化、高度分業社会により、労働の商品化、人間性の解体、統合知の解体が進む

(21世紀:情報・人間の時代)
- IT技術の進展により、個人の復権、新たな自由と創造性獲得、新文明の構築へと進む(予測)


ーー<人類発展の流れ>ーー

(〜12世紀)
- 個人の、権力(宗教含む)への従属
- 家族的手工業、商売

(〜16世紀)
- 個人の解放(宗教改革による、権力から個人へのパワーシフト)
- ルネサンス(all in one、知の解放・爆発)

(〜18世紀:工業化の開始)
- 市民政府化(個人の自由が社会の構成原理に、プロテスタント思想がベース)
- 近代科学の登場(専門化、高度化のスタート)
- 産業革命と工業化(分業化のスタート)

(〜20世紀:工業化の進展)
- 大量生産、高度分業化社会(資本の集中、大企業化、分業化の進展)
- 科学の高度化(高度専門分化による全体観の喪失)
- 経済の高度化、地球経済化(先進国と新興国での水平分業)

(〜現在:工業化の極限化、情報化の開始)
- 資本主義の暴走と発展の限界(格差の極大化、グローバルインバランスによる紛争、継続的発展の困難化)
- 分業の極限化による個人の部品化(統合知の弱体化)
- ITによる新たな経済圏の出現(組織→個人へのパワーシフト)

(現在〜:情報化の進展、人間中心の世界へ)
- 大量生産機構の上部機関として、自由な個人の創造活動(ITによる個人の復権)
- 専門性の解体と再構築(人工知能の発展)
- 全体知の回復(人工知能・ロボティクスの発展による人間の解放と、ITによる集合知の進展)


ーー<現在の状況>ーー

- 人間性の解体、部品化、商品化(分業化による)
- 知の解体(分業化による)

- 日本などキャッチアップ型工業国では、より極限化(現代社会というパッケージの「使いこなし」で発展した結果、パッケージそのものの開発・発展に必要なレベルの個人の自由と、社会の柔軟性がない)


ーー<必要と思われる理解(日本において)>ーー

- キリスト教をエンジンとして発展してきた西洋文明の理解(思想、社会制度、科学の発展)


ーー<次への挑戦>ーー

- 次の文明の構築(ポスト工業化、資本主義の超越)

(本文なし)
世界(主要流れ)   folder  
世界(主要流れ)   folder  
-ゲルマン人大移動
-フランク王国の分裂(850年前後)
-ノルマン人の活動
-ビザンツ帝国
(本文なし)
-十字軍
-百年戦争
-ルネサンス
-自然科学・技術の発展
-宗教改革
-アメリカ発見
-世界航海

-絶対王政
(本文なし)
-30年戦争
-イギリス革命(ピューリタン革命、名誉革命→議会政治確立)
-イギリス産業革命
-絶対王政(ヨーロッパ)
-植民地
-奴隷貿易
-7年戦争
-アメリカ独立革命
-フランス革命
-ナポレオン時代
(本文なし)
-ナポレオン時代(~1815)
-ウィーン会議(フランス革命・ナポレオン後のヨーロッパ国際秩序の再建:1814~15)
-ウィーン議定書(ウィーン体制:1815)
-産業革命の波及(ベルギー・フランス・ドイツ:1830年代〜、アメリカ:1840年代〜、ロシア:1860年代〜)
-資本主義の確立

(本文なし)
政治・社会   folder  
政治・社会   folder  
-カール載冠(800)
|_ローマ・キリスト教・ゲルマンの三要素融合(→西欧世界の成立)

(西ヨーロッパ諸国の誕生)
-フランク王国分裂(→ドイツ・フランス・イタリアの基礎)
-ノルマン人活動による混乱

(封建制度の成立)
(本文なし)
(イギリス)
-マグナ=カルタ(1215)
-イギリス議会誕生(1265)
-二院制の成立(1343)

(フランス)
-三部会(身分制議会)の招集(1305)

-百年戦争(1339~1453)
(本文なし)
(大航海時代)
-マルコ=ポーロ(東方見聞録)
-世界地図の作成、羅針盤の改良、鉄砲の発達による安全な航海

-バルトロメウ=ディアス(ポルトガル:アフリカ喜望峰に到達:1488)
-ヴァスコ=ダ=ガマ(ポルトガル:インド洋航路でカリカット到着:1498)
-コロンブス(イタリア:アメリカに到着:1492)
-アメリゴ=ヴェスプッチ(イタリア:南アメリカ大陸の探検:1497~1501)
-マゼラン(スペイン:史上初の世界周航:1519~1522(マゼランはフィリピンで死亡))

(絶対王政)

(本文なし)
(イギリス立憲政治)
-ピューリタン革命(イギリス:1621~1649)
|_共和制の実現(クロムウェル:1649)
|_クロムウェルの独裁

-王政復古(1660)
|_議会の対抗(審査法:1673、人身保護法:1679)
|_政党の成立(トーリー党、ホイッグ党)

-名誉革命(1688)
-権利の章典(1689)

-ウォルポールによる責任内閣制

(イギリス産業革命:18世紀後半〜)
-重商主義による資本蓄積
-木綿工業(紡績機と織機)
-蒸気機関(動力革命、蒸気船、蒸気機関車)
-ニューコメン(蒸気機関の発明:1705)
-ワット(蒸気機関の改良:1769)

-イギリスが「世界の工場」に

(アメリカ独立)
-ヴァージニア植民地(イギリス国王の特許状による:1607)
-ニューイングランド建設の基礎(ピルグリム=ファーザーズ:1620)

-三角貿易(イギリスの重商主義政策)
-砂糖法(1764)・印紙法(1765)
-ボストン茶会事件(1773)

-第一回大陸会議(フィラデルフィア:1774)
-トマス=ペイン(コモン=センス:1776)
-独立宣言(トマス=ジェファソン起草:1776)
-独立戦争(1775~1783)
-パリ条約(1783)

-合衆国憲法(人民主権、連邦制、三権分立:1787)
-第一回アメリカ議会(ワシントン大統領就任:1789)
-連邦派(フェデラリスト)と反連邦派(アンチ=フェデラリスト)の対立

(フランス革命)
-啓蒙思想の普及、イギリス立憲政治とアメリカ独立の影響
-身分制による利害対立、財政悪化と食糧危機等による社会不安

-バスティーユ牢獄の襲撃(1789)
-封建的特権の廃止(1789)
-人権宣言の採択(ラ=ファイエットら起草:1789)
-ヴェルサイユ行進
-91年憲法の公布(国民議会:1791)
-立法議会の成立(→ジロンド派、ジャコバン派の勢力拡大)

-革命戦争の開始(ジロンド派:1792)
-8月10日事件
-立法議会の解散→国民公会の成立(普通男子選挙による、王政の廃止、第一共和政の成立:1792)
-国王ルイ16世の処刑(ジャコバン派の優勢:1793)

-第一回対仏大同盟(イギリス中心に革命波及恐れ、フランス大包囲網:1793)

-ジャコバン派の独裁(ロベスピエールの恐怖政治:1793)
-革命政策の実施(封建地代の無償廃止、自作農の創設、ほか)
-恐怖政治への不満
-恐怖政治の終結(テルミドールの反動:1794)

-1795年憲法の成立、国民公会の解散、制限選挙の復活、総裁政府の成立(ブルジョア共和政府)
-政局の不安定化(バブーフの陰謀事件:1796)

-ナポレオンのクーデタ(1799)





(本文なし)
(ウィーン体制)
-ウィーン会議(1814~15)
-ウィーン体制(1815~1845)
-神聖同盟(1815)
-五国同盟(1818)

(ウィーン体制への反抗)
-ブルエンシャフトの運動(ドイツ)
-カルボナリの運動(イタリア)
-デカブリストの乱(ロシア)

(ウィーン体制の動揺)
-ラテン=アメリカ諸国の独立
-ギリシアの独立

(7月革命とイギリスの諸改革)
-7月革命
-イギリスの自由主義的改革

(社会主義思想の発展)
-マルクス主義(共産党宣言:1848)
-資本論(マルクス・エンゲルス:1867)

(1848年の諸改革)
-2月革命と第二共和政(フランス)
-3月革命(ドイツ)





(本文なし)
宗教(ユダヤ-キリスト)   folder  
宗教(ユダヤ-キリスト)   folder  
-ネロ皇帝の迫害(64、パウロ・ペテロの殉教) (本文なし)
-最後・最大の迫害(ディオクレアヌス帝:4世紀初め)
-ミラノ勅令でキリスト教公認(コンスタンティヌス帝:313)
-ニケーア公会議で三位一体の正統教義化(コンスタンティヌス帝:325)
-キリスト教の国教化(テオドシウス帝:392)
(本文なし)
-アウグスティヌス(神の国:5世紀前半) (本文なし)
-叙任権闘争(1070~1120頃)
-十字軍(1096~1270)
-教皇権絶頂期(13世紀初)

-十字軍失敗による教皇権威の失墜
(本文なし)
-教皇のバビロン捕囚(フィリップ4世:1309~1377)
|_教皇庁を南フランスのアヴィニョンに移し、教皇はフランス国王に従属
-教会大分裂(大シスマ)(1378~1417)

-異端派の続出(カタリ派、ワルド派など:聖書に基づく信仰を主張)
-宗教改革の先駆(ウィクリフ、フスなど)
(本文なし)
-95カ条の論題(ルター:1517)
|_教皇レオ10世がドイツで大量の
贖宥状を発売したことに対して攻撃
|_のち、教皇はルターを破門、神聖ローマ皇帝がルターの公民権を剥奪(1521)
|_ルターは、領主のザクセン選帝侯フリードリヒに保護されて、「新約聖書」のドイツ訳を完成

-ルター派の伝播
-カルヴァンの改革
(本文なし)
-30年戦争(ドイツ:1618~1648)
-ピューリタン革命(イギリス:1621~1649)
-オランダ独立戦争(ウェストファリア条約:1648)
(本文なし)
思想・文化   folder  
思想・文化   folder  
(新プラトン主義)
-プロティノス(204~269)

(教父の哲学)
-アウグスティヌス(354~430)
(本文なし)
ーー<イタリア>ーー

(人文主義)
-ダンテ(神曲)
-ボッカチオ(デカメロン)
-マキャヴェリ(君主論)

(建築)
-ルネサンス様式建築(サンタ=マリア大聖堂、サン=ピエトロ大聖堂)

(彫刻)
-ミケランジェロ(ダヴィデ像)

(絵画)
-レオナルド=ダ=ヴィンチ(最後の晩餐、モナリザ)
-ミケランジェロ(最後の審判、天地創造)
-ラファエロ(聖母像)

ーー<西欧諸国>ーー

-セルバンテス(ドン=キホーテ)
-トマス=モア(ユートピア)
-シェークスピア


(本文なし)
(近代哲学)
-フランシス=ベーコン(イギリス:帰納法の確立)
-デカルト(フランス:「方法叙説」で演繹法の確立)
-スピノザ(オランダ:汎神論)
-ライプニッツ(ドイツ:単子論哲学)
-パスカル(フランス)

(自然法思想)
-ホッブズ(イギリス:リヴァイアサン)
-ロック(イギリス:統治二論)

(自由主義経済)
-アダム=スミス(国富論:1776)

(啓蒙思想)
-モンテスキュー(フランス:法の精神)
-ルソー(フランス:社会契約論)

(本文なし)
科学等   folder  
科学等   folder  
(wikipwdia:「科学史」より)
-紀元前7-6世紀、古代ギリシアではポリスがおこり、アテナイを中心に発展する。海運交易で富を得た商工階級の内から、世界の成り立ちについて考察をする人々が現れる。数学研究のピタゴラス、原子論のデモクリトスなどがいる。リュケイオンといった施設もでき、学問が深化する。しかしギリシア諸都市の衰退とともにこれらの科学的伝統は衰える。
-紀元前3-2世紀、古代ギリシアが古代ローマに征服されてローマ帝国として発展するが、ギリシアの科学の研究が本格的に始まったのはマルクス・テレンティウス・ウァロ(紀元前116年 - 紀元前27年)の頃からであると考えられている。しかしローマでは実践的・実用的な研究に重きがおかれ、ギリシアの文化や思想はあまり浸透しなかった。ウァロはギリシアの科学から知識を吸収し、学問を9つに分類して体系化した。すなわち文法学・論理学・修辞学・幾何学・数論・天文学・音楽の自由七科と医学と建築学である。この後に網羅的な研究が進められ、道路やローマ水道が整備され、建築や彫刻を設計する技術力を獲得する。
(本文なし)
(wikipedia:科学史より)
-中国では紀元前5-3世紀、戦乱の中、諸子百家と呼ばれる思想家たちが現れる。例えば墨子の思想には数学の要素が含まれている。鍼・灸・按摩や漢方薬などの伝統中国医学はこのころには確立されている。
-紀元前3世紀、秦の始皇帝により度量衡・漢字が統一される。
-1世紀ころシルクロードを通した西洋との交流が盛んになる。
-2世紀以降は、古代中国の4大発明といわれる羅針盤、火薬、紙、印刷が発明され、他にも地震計などが発明された。また、張衡・祖沖之・何承天らが数学・天文学を発展させた。張衡は「候風地動儀」という名の世界初の地震計を発明し、月食の原理を解き明かしている。
(本文なし)
(wikipwdia:「科学史」より)
-11世紀に十字軍運動が起こり、中東地域への遠征が行われるようになる。このことによってヨーロッパがアラビア科学に出会い、コーランのラテン語への翻訳に始まり、多数のアラビア語の文献が翻訳されるようになっていく。
-12世紀まではヨーロッパの科学はキリスト教神学であったが、アラビア科学に触発されて積極的に哲学、天文学、数学、自然科学、論理学、倫理学などをアラビア科学だけでなくギリシア科学からも研究されるようになり、パリ大学といった大学が開校されるようにもなる。古代科学もアラビアから翻訳され、神学と科学の融合も試みられる(スコラ学)。
(本文なし)
(3大発明)
-火薬(騎士階級の没落促進)
-羅針盤(ヨーロッパ人の海外進出)
-活版印刷術(聖書の普及で宗教改革へ)

(宇宙観の転換)
-コペルニクス(ポーランド:地動説)
-ガリレオ(イタリア:地動説による宗教裁判)
-ケプラー(ドイツ:地動説の数学的証明、惑星運行の法則)

(大学の発展:wikipedia「科学史」より)
-13世紀には急激に大学の数が増え、ケンブリッジ大学、パドヴァ大学などヨーロッパ各地で開校が進んだ。当時の大学はいくつかの学部が設けられ、世俗教師と修道会教師が教育にあたった。
-14世紀にはパリ大学などで自然科学、特に力学や運動論についての研究が行われ、加速度運動や加速の原因論などが考えられた。オレームやビュリダンが力学的考察を行い、ベーコンが実験の重要性を指摘するなど、近代科学の土台が築かれる。


(本文なし)
-万有引力の法則(ニュートン:1687(プリンキピア)) (本文なし)
ーー<19世紀>ーー

(化学)
-原子説(ドルトン(英):1803)
-分子説(アヴォガドロ(伊):1811)
-定量分析法(リーヴィッヒ(独):1831)
-元素周期律表(メンデレーエフ(露):1869)

(物理学)
-オームの法則(オーム(独):1826)
-電気分解の法則(ファラデー(英):1833)
-熱エネルギー保存の法則(マイヤー(独):1842)
-エネルギー保存の法則(ヘルムホルツ(独):1847)
-光の電磁波説(マクスウェル(英):1861)
-電子論(ローレンツ(蘭):1892)
-X線の発見(レントゲン(独):1895)
-ラジウム放射能の発見(キュリー夫妻(仏):1898)

(生物学・医学)
-細胞核の発見(ブラウン(英):1831)
-進化論(ダーウィン(英)「種の起源」:1859)
-遺伝の法則(メンデル(墺):1865)
-各種予防法の発見(パストゥール(仏):1880前後)
-結核菌・コレラ菌の発見(コッホ(独):1882~83)

(技術発明)
-電信機(モールス(米):1835)
-ダイナマイト(ノーベル(典):1867)
-電話機(ベル(米):1876)
-蓄音機、電灯、映画など(エディソン(米):1880前後)
-電車(ジーメンス(独):1879)
-ガソリン機関、自動車(ダイムラー(独):1883)
-無線電信機(マルコーニ(伊):1895)

ーー<20世紀>ーー


(本文なし)
数学   folder  
数学   folder  
(wikipedia:「数学史」より)
-12世紀に、ヨーロッパの学者はアラビア語科学文献を求めてスペインとシチリア島に旅行した。これにはチェスターのロバートによりラテン語に翻訳されたフワーリズミーの『ヒサーブ・アル=ジャブル・ワル=ムカーバラ』、バースのアデラード、カリンツィアのヘルマン (Herman of Carinthia) 、クレモナのジェラルドにより様々な版が翻訳されたエウクレイデスのユークリッド原論の完全な書が含まれる
-レオナルド・フィボナッチは1202年著・1254年改訂の『算盤の書』 (Liber Abaci) を著し、エラトステネスの時代から1,000年以上を経て、ヨーロッパの最初の重要な数学をもたらした。この数学書はヨーロッパにインド・アラビア数字を導入し、他の多くの数学問題が議論された。
-14世紀には、幅広い問題を研究するための新たな数学の観念の発展が見られた。数学の発展に貢献した重要な分野は、軌跡の動きの分析に関するものであった。
(本文なし)
(wikipedia:「数学史」より)
-16世紀のヨーロッパの数学者は、今日知られているように、他の世界に先例の無い進歩を始めた。その最初は三次関数の一般解法であり、一般に1510年頃のシピオーネ・デル・フェッロの功績とされているが、最初の出版はニュルンベルクのヨハネス・ペトレイアスによるジェロラモ・カルダーノの『偉大なる術』であり、これにはカルダーノの弟子ルドヴィコ・フェラーリによる四次方程式の一般解法も含まれていた。
(本文なし)
(まとめ:17世紀)
-ネイピア:自然対数の研究
-フェルマーとデカルト:解析幾何学
-ニュートン:微積分学
-ライプニッツ:微積分学
-パスカルとフェルマー:確率論と組み合せ数学

(まとめ:18世紀)
-オイラーなど:微分積分学の発展
-ヤコブ・ベルヌーイ、ド・モアブル、トーマス・ベイズ、ピエール=シモン・ラプラスなど:確率論の発展
|_蓋然的確実性(ベルヌーイ)
|_確率評価精度の理論(ド・モアブル)
|_統計的推定(ベイズ、ラプラス)

(wikipedia:「数学史>17世紀」より)
-スコットランドのジョン・ネイピアは、ケプラーの計算を助けようとする試みもあって、歴史上最初に自然対数の研究を行った。ケプラーは惑星運動の数学的規則をケプラーの法則として定式化することに成功した。
-フランス人の数学者ピエール・ド・フェルマーと哲学者でもあるルネ・デカルトによって解析幾何学が開発され、惑星の軌道を直交座標系において描きとらえることができるようになった。
-多くの数学者によるそれまでの研究に立脚し、イングランドのアイザック・ニュートンはケプラーの法則を説明する物理法則を発見し、現在の微分積分学として知られる概念を寄せ集めた。
-ドイツではゴットフリート・ライプニッツが微分積分学および現在でも使用される微分積分の記法のほとんどを発明した。この時代に科学と数学は国境を越えた営みとなり、すぐに全世界に広まった。
-フェルマーとブレーズ・パスカルの交流により、応用数学が新たな領域に拡大を始めた。パスカルとフェルマーはギャンブルのゲームに関する議論で、確率論と対応する組合せ数学の研究の土台を築いた。

(wikipedia:「数学史>18世紀」より)
-「2の平方根はどんな種類の数か?」レオンハルト・オイラー(1707年-1783年)はネイピア数 e と命名した。
-17世紀に創始された微分積分学はオイラーをはじめとする18世紀の数学者たちによってさらに発展させられた。オイラーによって書かれた3冊の解析学の教科書やダランベールとオイラーの間で議論された波動方程式の考察によって、17世紀の幾何学的な変分についての微分積分学の体系はより抽象的な、1変数ないし多変数の関数によって与えられる解析的な対象の研究へと変貌していった。
-18世紀の確率論はヤコブ・ベルヌーイ、ド・モアブル、トーマス・ベイズ、ピエール=シモン・ラプラスらの手によって、解析学の成果を取り込み発展させられた。この時代の成果に蓋然的確実性(ベルヌーイ)、確率評価精度の理論(ド・モアブル)、統計的推定(ベイズ、ラプラス)などがある。
(本文なし)
(まとめ:19世紀)
-ガウス:複素解析学、幾何学、および級数の収束について革新的な業績、代数学の基本定理と平方剰余の相互法則に、最初の満足できる証明
-ハミルトン:非可換代数の概念を発展
-ブール:ブール論理
-コーシー、ワイエルシュトラス、リーマン:微分積分学のより強固な基礎理論
-アーベルとガロア:五次以上の代数方程式には一般的な代数的解法が無いことを証明
-アーベルとガロア:多項式解法の研究で、群論および抽象代数学の関連分野の更なる発展の土台を築く
-カントール:集合論

(まとめ:20世紀)
-ヒルベルト:ヒルベルトの23の問題を提示
-ゲーデル:2つのゲーデルの不完全性定理を発表
-ワイルズ:フェルマーの最終定理を証明
-数理論理学、位相幾何学、カオス理論、ゲーム理論のような全く新しい数学の分野が発展


(wikipedia:「数学史>19世紀」より)
-19世紀は最高の数学者の一人と数えられるカール・フリードリヒ・ガウス(1777年-1855年)の時代でもある。自然科学への多数の貢献を別にしても、純粋数学において彼は複素解析学、幾何学、および級数の収束について革新的な業績を残した。彼は代数学の基本定理と平方剰余の相互法則に、最初の満足できる証明を与えた。
-19世紀はまた、新たな抽象代数学の始まりの時代でもあった。ウィリアム・ローワン・ハミルトンによって非可換代数の概念が発展させられたし、一方でイギリスの数学者ジョージ・ブールによってブール論理が開発された。ブール論理は0と1の二つの数からなる体系であり、今日の計算機科学において重要な応用を持っている。
-数学における新たな傾向に加えて、過去の数学、特に微分積分学について、オーギュスタン=ルイ・コーシーとカール・ワイエルシュトラス、ベルンハルト・リーマンらによってより強固な基礎理論が与えられた。
-また、数学の限界が初めて探求された。ノルウェー人のニールス・アーベルとフランス人のエヴァリスト・ガロアは、五次以上の代数方程式には一般的な代数的解法が無いことを証明した。
-アーベルとガロアによる様々な多項式解法の研究は、群論および抽象代数学の関連分野の更なる発展の土台を築いた。
-19世紀の終わりに向かって、ゲオルク・カントールは集合論を確立し、異なる数学分野での共通言語をあたえた。

(wikipedia:「数学史>20世紀」より)
-1900年に、ダフィット・ヒルベルトは国際数学者会議においてヒルベルトの23の問題を提示した。この問題は、数学の多くの領域にまたがり、20世紀の数学の多くに対する関心の的となった。今日、10の問題が解決され、7つが部分的に解決され、2つが未解決である。残る4つについては定式化が曖昧なため解決か未解決かを述べることは不可能である。
-1931年に、クルト・ゲーデルは、数理論理学における形式的体系の限界を述べる2つのゲーデルの不完全性定理を発表した。
-アンドリュー・ワイルズは数年にわたる独力の研究で、1995年にフェルマーの最終定理を証明した。
-数理論理学、位相幾何学、カオス理論、ゲーム理論のような全く新しい数学の分野が、数学的手法で回答できる質問の種類を変化させた。20世紀の終わりまでに、数学は芸術の域にさえ達した。フラクタル幾何は、それまで見たことのないような美しいフラクタルアートを与える。
(本文なし)
その他地域   folder  
その他地域   folder  
none   folder  
none   folder  
ads