ギリシアの科学、古代ローマの科学
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独断と偏見で、現代社会に至る、主要な歴史の流れを整理してみたいと思います。
あまりにも歴史を把握していないので、一回自分で整理しておかないとマズイな、というのが作成の動機で、主に高校参考書とwikipediaを参照して整理しています。

まだ着手して間もないのであっちこっちスカスカですが、ジワジワと埋めていきたいと思っています。
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ギリシアの科学、古代ローマの科学   LV1     Link:no title  
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サブノート画像より

(wikipwdia:「科学史」より)
-紀元前7-6世紀、古代ギリシアではポリスがおこり、アテナイを中心に発展する。海運交易で富を得た商工階級の内から、世界の成り立ちについて考察をする人々が現れる。数学研究のピタゴラス、原子論のデモクリトスなどがいる。リュケイオンといった施設もでき、学問が深化する。しかしギリシア諸都市の衰退とともにこれらの科学的伝統は衰える。
-紀元前3-2世紀、古代ギリシアが古代ローマに征服されてローマ帝国として発展するが、ギリシアの科学の研究が本格的に始まったのはマルクス・テレンティウス・ウァロ(紀元前116年 - 紀元前27年)の頃からであると考えられている。しかしローマでは実践的・実用的な研究に重きがおかれ、ギリシアの文化や思想はあまり浸透しなかった。ウァロはギリシアの科学から知識を吸収し、学問を9つに分類して体系化した。すなわち文法学・論理学・修辞学・幾何学・数論・天文学・音楽の自由七科と医学と建築学である。この後に網羅的な研究が進められ、道路やローマ水道が整備され、建築や彫刻を設計する技術力を獲得する。
(本文なし)

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