対話5−8:「新自由主義的ドグマ」の信仰
サイズ:     
UnitNoteの開発者です。

がんばって作っています。
「 気候問題議論 with AI(基本対話)」のボードに続き、さらに各論の詳細を議論しているボードです。
対話の中では色々と、面白いアイデアも出ていると思います。

各対話の内容は「詳細過ぎる」ものも多いので、適当に読み飛ばすことをお勧めします。
(真面目に全部読むようなものではなく、流れが追えれば十分という内容。自分でもAI回答全部は読んでいません)
sub  
    ノート表示(LV2)
対話5−8:「新自由主義的ドグマ」の信仰   LV2     Link:no title  
#### **(私)**
それにしても、「新自由主義的ドグマ」にこんなに長く縛られていたというのは、頭が良さそうに思われている経済学者が、本当に頭が良かったのか、疑問を感じさせますね。
「神の手」が働いていて不可侵だというなら、外部コストに対しても働くようになっていなければならないはずで、間違いが分かった時点で、速やかに態度を改めるべきだったのではないか、と感じます。

------
#### **(ChatGPT)**
ご指摘の通り、新自由主義的ドグマ(市場万能主義、自己責任、規制緩和至上主義など)が長く支配的であったことには、多くの研究者・政策立案者が「神の見えざる手」の概念を過度に信奉し、実証的な矛盾や社会的な副作用を軽視してきた側面があります。

経済学が「科学」を自称するにもかかわらず、その中心的理論が一種の**信仰**のように扱われていたことは、確かに自己批判が必要な問題です。特に以下のような点が長らく過小評価されてきました:

- **外部不経済の構造的無視**:環境破壊、格差の拡大、公共財の消耗といった問題を、市場では「価格に内在化できないもの」として片付けてきた。
- **完全競争前提の非現実性**:現実には寡占や不完全情報、パワーバランスの非対称が支配的なのに、理論上は完璧な市場を仮定しつづけた。
- **実験とフィードバックの欠如**:経済モデルの仮定が誤っていても、制度全体をテスト・調整する柔軟性が制度設計に組み込まれてこなかった。

また、経済学界にも内部の力学があり、時代ごとの支配的潮流に逆らうことは、学術的・キャリア的にリスクを伴ったという現実もあります。

一方で、批判的な視点を持っていた学者(アマルティア・セン、ジョセフ・スティグリッツ、マリアナ・マッツカートなど)も存在しており、彼らはむしろ現実世界の観察や倫理的価値観に基づいた経済思想を主張してきました。ただし、彼らの声が主流になるには、今まさに起きているような**現実の危機(気候変動、民主主義の危機、極端な格差)**を通じた再評価の機運が必要だったのかもしれません。

つまり、経済学そのものというよりは、**それをいかに政策に取り入れるかという政治・制度の側のフィルター**にも問題があったと言えます。

ご関心のある方向でいうと、今後は「モデル設計型経済」や「制度のコード化」のような考え方が、思考停止を避ける手段としても重要な役割を果たす可能性が高いと思います。

こうした転換を加速させる上で、どのようなアクターがキーになると思いますか?(市民、地方自治体、国際組織、テックセクターなど)

  sub_notes (LV3)   全て開く   全て閉じる
none   LV3  
0
none

  コメント

  コメントを書く