宗教
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この本は、ユダヤ教に入信した日本人が、様々な体験を通して学んだその文化と様々な驚きについて教えてくれる本です。
宗教というものに対して日本人が抱きがちな固定観念(闇雲に信じる、論理的でない、など)を取り払ってくれる面白い本だと思います。

特に、ユダヤ人は子供の頃から聖書を題材に様々な議論をすることで、批判的思考力を養っているというのは、目からウロコという感じでした。
安息日は生産的な事は何もしてはならず、それが平日の活力になっているというのも面白いです。
家庭内で宗教と教育が分かち難く結びつき、それがユダヤ人の優秀さを生み出しているとしたら、宗教というものが(現世的な意味でも)いかにバカにならないか、と感じさせてくれます。

ところで「目からウロコ」は、使徒パウロが啓示を受けて改心した時に目からウロコのようなものが落ちた、という話(新約聖書)から来ていると、知ってました?
目からウロコではありませんか?(笑)

かなり大きな視点で、キリスト教が西洋社会に及ぼしている影響を解説している本。

聖書の解釈に、いささか乱暴な部分や、独自の解釈もあるように思うが、社会との関わりを大きな視点で捉えているのはとても面白い。
もちろん聖書の理解があった上で読むのが良いが、そうでなくてもなかなか面白く読めるのではないだろうか。

自由・平等・博愛と民主主義の精神、科学的探究心、トップダウンの思考、大局観、広い空間意識、論理性、etc..西洋人や西洋社会に見られる様々な特徴が、聖書に由来すると主張する。
そんなことはないだろう、と思うかもしれないが、実際に聖書を読んで理解し、社会を眺めたときに、確かにこの本にあるように感じられてくるのだ。
不思議なことに、聖書を理解することで、自分の思考空間が大きく広がり、知的好奇心が増し、価値の軸が大きく変わった、と感じる。
この不思議なメカニズムを、この本では、なかなか巧みに分析してくれている。

いずれにしても、西洋文明・社会において、宗教は(多くの日本人が考えるように)社会の脇役ではなく、堂々たる主役であり、時代を進めてきたエンジンであり、長い歴史の中でそうあり続けてきた、という事実を軽く考えてはいけないと思うのである。

これを読まずに何を読む、という古典中の古典ですね。

全て西洋の、思想、科学、社会制度、芸術、etc... はここから生まれたといっても過言でないと思います。

我々が現代社会に生きる上で、そのルーツを知ることはとても大切なこと。
しかし、日本はその前の社会とはあまり脈絡なく突然西洋化したので、その(現代社会の)発展の経緯や、その土台にある聖書の精神についてはけっこう他人事というか、関係ないと捉えてしまいがちと思います。

しかし、西洋に追いつけ追い越せの発展プロセスが一段落して、何処に向かって進めば良いのか、もう一度しっかり考え直さなければならない今、現代社会のルーツとなるもの(我々は何処から来たのか)をしっかり理解し、未来を考えていくことはとても重要だと思います。

その最初の一歩となるのが、聖書。
これを読まねば、世界のことがまるで分からない、それくらいの本だと思います。

「和魂洋才」もいいけれど、結局それでは魂の入っていない「西洋文明の抜け殻」を適当に借りてきて着ている、というレベルの、とても浅い理解に留まってしまい、応用のきかないものになってしまうと思うのです。日本人が本質論が苦手なのは、そもそもこの世界の本質から目を背け続けているから、かもしれません(?)

ちなみに、聖書を読むときは、最初から旧約聖書はちょっと重いので、まずは新約聖書から読むのが吉だと思います。興味が出たら旧約へ進むと面白く読めると思います。新約→旧約→新約の順で読むのが理想じゃないでしょうか。

私の場合は、新約→旧約→新約で2回目に新約を読んだときに、ようやく新約の本当の意味が理解できた(かな?)という感じです。

佐藤優の解説もなかなか面白いのだけど、それよりも、新書サイズで読みやすいので、新約を読むときはだいたいこれで読む、という感じになってます。

聖書を読むときは、最初から旧約聖書はちょっと重いので、まずは新約聖書から読むのが吉だと思います。興味が出たら旧約へ進むと面白く読めると思います。

キリストを信じるということはどういうことなのか、ルターの明快な言葉を通して、読み取ることができます。
聖書の読み解き方を教えてくれる、という点で、新約聖書の副読本にしても良いくらいの本だと思います。

また、宗教改革→プロテスタントの拡がり→アメリカ独立→現代民主主義、へと繋がる歴史理解にも、必読の一冊ではないでしょうか。

もちろん、すでに聖書を読んでいることが大前提、という本ではありますが。

アメリカ人の生活に色濃く反映する宗教の影響について、日常生活的な目線から書いている本です。

日本人はキリスト教の理解がないので、欧米社会の様々な物事を「宗教的次元抜きに」、日本流に解釈していますが、その理解の仕方には限界があるのだと気づかせてくれる本ではないかと思います。
宗教的次元は、むしろ欧米社会の本質であり、それを除いての「理解」はあり得ないのだということ、
そしてその理解は、単に外交や交渉で向き合う場面で必要であるにとどまらず、
欧米型社会システムを全面的に取り入れている日本では、そのシステムの本質を理解する上での必須事項なのだ、と思われます。

少し前に書かれた本のようで、日本がアメリカと対等に渡り合っていた頃の(今ではあり得ない感覚の)話もいろいろ出てきます。
しかし、その本質は現在でも全く変わっていないと思われ、面白く読める本だと思います。

読みやすく面白い本で、一読の価値はあると思います。


ちょっと本の帯がアレな感じなのですが。。(自己啓発本?出版の事情でしょうか)

内容は、歴史的人物や世界の著名人が、聖書をどのように捉え、生活の中で位置付けてきたか、各人の言葉やエピソードで紹介されている本です。
この本に登場する人達は、ほんの一部ですが、西洋文明や歴史の中で聖書がどのように捉えられてきたか、断片を伺うことができます。

実際には、歴史上の重要人物(哲学者、作家、思想家はもちろん、科学者や数学者、芸術家、政治家なども)の、殆どがこの本の登場人物のような熱心な信仰を持って道を拓いてきました。(日本であれば、野口英世やソニーの井深大などもそうですね)
その意味で、西洋文明(現代文明)は聖書の精神の上に建てられた、といっても良いと思います。
日本に暮らしているとなかなか文明や思想のルーツが見えないのですが、こういった本から多少は覗き見ることができるのではないかと思います。

明治以来100年以上に渡り、結果としての成果物(西洋文明)を模倣してきた日本においては、眼の前にある物事のルーツが見えないために、原因と結果の関係が分からず、一定以上、物事について掘り下げて考えることができません。(掘り下げようにも「原因」はこの国には無いのですから当然です)
結果として、物事の判断基準は全て「世界(西洋)ではどうなっているか」「世界の常識はどうか」という形で、西洋世界に丸投げしてしまっている状態です。
その価値判断がどこからきているのか(もちろん聖書からですが)、知らなければ同じ土俵で考えることすらできません。
また、ルーツを知らなければ、自分たちがこれからどういった世界を目指して進んでいくのか、についても考えることができません。

そのような思考停止の状態から脱却するためにも、今こそ日本人は聖書を学ぶべきではないかと思います。

この本の冒頭で紹介されていますが、過去300年で大きな業績を残した科学者300人のうち、9割以上が神を信じていたという調査結果があるそうです。

日本では合理主義の塊のように捉えられている科学ですが、「普遍性」や「真理」の探求という点において、宗教と科学は表裏一体であり、科学は宗教との深いつながりの中で発展してきました。(両者は対立関係でなく、相互に補完する関係だと思います)

この本では、簡単な近代科学史の紹介の中で、科学者たちが、宗教とどのように向きあい、それぞれを自分の中でどう位置付けてきたのか、著者自身の体験も踏まえて紹介されています。

科学者達はおそらく、宇宙の深淵を覗き込む中で、神の存在について考えざるを得ないのではないかと思います。
むしろ現代社会においては科学を深く知らない一般人こそが、科学を盲信し、安直な宗教否定に走っているのではないか、という気がします。

聖書を読んだ後、科学との関係を知りたかった私にとって、とても面白く読めた。

理論物理学者から聖職者へと転身した経歴も面白いが、科学と宗教の両立とその説明は、やや抽象的だけれど含蓄に富み、面白かった。

この宇宙の神秘を突き詰めれば、あまりの不思議さ、精巧さに、神という存在を考えずにはいられない、といった話はよく聞く気もするが、実際どこがどのように奇跡的なのか、(この本だけでもわからないのだが、)ヒントくらいは得られた気がする。

あとは量子論、相対論、数学理論、生物学、脳科学など、自然科学各分野の読書や勉強を通じて自分なりの世界観を捕まえていきたいものだ。


近代科学を創った人達が、信仰心による探求を原動力として、科学の世界を確立していった流れが見える本です。

ニュートンをはじめ近代科学の創始者たちは皆、信仰心を原動力として真理の探求を行ってきました。
その後の歴史においても、アインシュタインが「宗教なき科学は不具であり、科学なき宗教は盲目である」と言ったように、両者を補完する関係として共に発展してきた歴史があります。(歴史的な科学者、発明者の多くが人並み以上の信仰を持っています)

ところが、日本に暮らしていると、日本の歴史/社会に発展の歴史が刻まれていないので、そのあたりの関係が見えず、「人間社会には科学さえあれば十分である」といった錯覚に陥りがちです。

この本でも書かれていますが、真理は一つであり、それは公共のものである、というキリスト教からの精神が、真理探求の土壌を作り、議論する土壌を作り、情報を共有する土壌を作ってきたのだろうと思います。
その流れの先に、オープンソースと情報の共有からなる、ITの発展もあると考えています。

アメリカ社会は原則的に政教分離だけれども、それは政治が特定の宗教の便宜を図ることはしない、ということであって、政治と宗教は密接に結びついています。
ユダヤ、キリスト教を中心とした「見えざる国教」が、移民国家であるアメリカの社会と政治を統合している、ということを、様々な例から紹介している本です。

後半は特殊宗派の説明が少し長く、流し読みをしてしまいましたが、前半の、アメリカ建国から歴史上重要な位置を占め続けてきた「宗教」についての説明は大変面白く、歴史の教科書からは読み取れない内容だと思います。
日本も戦後はアメリカの指導のもとに民主化を進めてきた関係上、アメリカの宗教から、間接的に大きな影響を受けていると思いますが、我々は日常あまり意識することはありません。
それはおそらく、欧米に学び、効率的に近代化を進める過程で、キリスト教の影響を徹底して排除してきた為政者の方針によるところが大きいでしょう。
しかし、意図的な分離によって、日本人から世界の歴史、現実を正しく知る機会をもまた奪ってきたのではないか、という気がします。
もしアメリカに宗教がなかった場合、世界はおそらく今とは全然違ったものになっていたのではないか、ということを考えると、その関係を知る意味は大きいと思います。

まだ読み始めて少しなので中途半端になるけれど、とりあえずここまでのレビューを書きます。

これを読み始めて、イスラム教が、ユダヤ教、キリスト教と同じ神(アッラーとは単に呼び名であり、旧約聖書の神を指している)を信じること、コーランに加えて旧約聖書、新約聖書を聖典とし、その続きである、という位置付けがよく分かりました。

出だしから、旧約、新約聖書中の話がどんどん出てきて、それに対する批判的な話がいろいろ出てきます。
というか、ユダヤ教徒、キリスト教徒の「信じ方」が正しくない、キリストの後に出たマホメット(預言者)の言葉こそが神からの正しいメッセージなので、それに従って正しく生きるべきだ、というトーンです。

しかし内容は、正しくキリスト教を理解しているとは思えない批判も多く、マホメットは文字が読めなかったという話も本当かも、と思わせるものがあります。

いずれにしても、旧約、新約聖書を読んでいなければ意味がわからないはずの本なのですが、イスラム教徒の一体どれだけがその全部を読んでいるだろうかと考えると、イスラム教とは実は社会慣習の部分が大きい宗教であり、キリスト教徒のように聖書の内容を理解した上で信仰しているのとは異なるのではないか、という推測ができます。

ましてやISIS等テロ組織の構成員の多くは、コーランすらちゃんと読んでいないのではないでしょうか(勝手な推測ですが)。このような組織がイスラムを語り残虐行為を起こすのを見て、宗教による闘争である、と想像するのは愚かなことであると気づきます。

しかし一面においては、そのような行為を肯定するような内容が書かれていることも事実のようです。ちょっと注意のいる本ですね。もう少し読み進めて、自分なりの理解を得たいと思います。

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