イギリス立憲政治、産業革命、アメリカ・フランスの革命
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独断と偏見で、現代社会に至る、主要な歴史の流れを整理してみたいと思います。
あまりにも歴史を把握していないので、一回自分で整理しておかないとマズイな、というのが作成の動機で、主に高校参考書とwikipediaを参照して整理しています。

まだ着手して間もないのであっちこっちスカスカですが、ジワジワと埋めていきたいと思っています。
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イギリス立憲政治、産業革命、アメリカ・フランスの革命   LV1     Link:no title  
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(イギリス立憲政治)
-ピューリタン革命(イギリス:1621~1649)
|_共和制の実現(クロムウェル:1649)
|_クロムウェルの独裁

-王政復古(1660)
|_議会の対抗(審査法:1673、人身保護法:1679)
|_政党の成立(トーリー党、ホイッグ党)

-名誉革命(1688)
-権利の章典(1689)

-ウォルポールによる責任内閣制

(イギリス産業革命:18世紀後半〜)
-重商主義による資本蓄積
-木綿工業(紡績機と織機)
-蒸気機関(動力革命、蒸気船、蒸気機関車)
-ニューコメン(蒸気機関の発明:1705)
-ワット(蒸気機関の改良:1769)

-イギリスが「世界の工場」に

(アメリカ独立)
-ヴァージニア植民地(イギリス国王の特許状による:1607)
-ニューイングランド建設の基礎(ピルグリム=ファーザーズ:1620)

-三角貿易(イギリスの重商主義政策)
-砂糖法(1764)・印紙法(1765)
-ボストン茶会事件(1773)

-第一回大陸会議(フィラデルフィア:1774)
-トマス=ペイン(コモン=センス:1776)
-独立宣言(トマス=ジェファソン起草:1776)
-独立戦争(1775~1783)
-パリ条約(1783)

-合衆国憲法(人民主権、連邦制、三権分立:1787)
-第一回アメリカ議会(ワシントン大統領就任:1789)
-連邦派(フェデラリスト)と反連邦派(アンチ=フェデラリスト)の対立

(フランス革命)
-啓蒙思想の普及、イギリス立憲政治とアメリカ独立の影響
-身分制による利害対立、財政悪化と食糧危機等による社会不安

-バスティーユ牢獄の襲撃(1789)
-封建的特権の廃止(1789)
-人権宣言の採択(ラ=ファイエットら起草:1789)
-ヴェルサイユ行進
-91年憲法の公布(国民議会:1791)
-立法議会の成立(→ジロンド派、ジャコバン派の勢力拡大)

-革命戦争の開始(ジロンド派:1792)
-8月10日事件
-立法議会の解散→国民公会の成立(普通男子選挙による、王政の廃止、第一共和政の成立:1792)
-国王ルイ16世の処刑(ジャコバン派の優勢:1793)

-第一回対仏大同盟(イギリス中心に革命波及恐れ、フランス大包囲網:1793)

-ジャコバン派の独裁(ロベスピエールの恐怖政治:1793)
-革命政策の実施(封建地代の無償廃止、自作農の創設、ほか)
-恐怖政治への不満
-恐怖政治の終結(テルミドールの反動:1794)

-1795年憲法の成立、国民公会の解散、制限選挙の復活、総裁政府の成立(ブルジョア共和政府)
-政局の不安定化(バブーフの陰謀事件:1796)

-ナポレオンのクーデタ(1799)





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-ピューリタン革命(イギリス:1621~1649)
|_共和制の実現(クロムウェル:1649)
|_クロムウェルの独裁

-王政復古(1660)
|_議会の対抗(審査法:1673、人身保護法:1679)
|_政党の成立(トーリー党、ホイッグ党)

-名誉革命(1688)
-権利の章典(1689)

-ウォルポールによる責任内閣制

-重商主義による資本蓄積
-木綿工業(紡績機と織機)
-蒸気機関(動力革命、蒸気船、蒸気機関車)
-ニューコメン(蒸気機関の発明:1705)
-ワット(蒸気機関の改良:1769)

-イギリスが「世界の工場」に

-ヴァージニア植民地(イギリス国王の特許状による:1607)
-ニューイングランド建設の基礎(ピルグリム=ファーザーズ:1620)

-三角貿易(イギリスの重商主義政策)
-砂糖法(1764)・印紙法(1765)
-ボストン茶会事件(1773)

-第一回大陸会議(フィラデルフィア:1774)
-トマス=ペイン(コモン=センス:1776)
-独立宣言(トマス=ジェファソン起草:1776)
-独立戦争(1775~1783)
-パリ条約(1783)

-合衆国憲法(人民主権、連邦制、三権分立:1787)
-第一回アメリカ議会(ワシントン大統領就任:1789)
-連邦派(フェデラリスト)と反連邦派(アンチ=フェデラリスト)の対立

-啓蒙思想の普及、イギリス立憲政治とアメリカ独立の影響
-身分制による利害対立、財政悪化と食糧危機等による社会不安

-バスティーユ牢獄の襲撃(1789)
-封建的特権の廃止(1789)
-人権宣言の採択(ラ=ファイエットら起草:1789)
-ヴェルサイユ行進
-91年憲法の公布(国民議会:1791)
-立法議会の成立(→ジロンド派、ジャコバン派の勢力拡大)

-革命戦争の開始(ジロンド派:1792)
-8月10日事件
-立法議会の解散→国民公会の成立(普通男子選挙による、王政の廃止、第一共和政の成立:1792)
-国王ルイ16世の処刑(ジャコバン派の優勢:1793)

-第一回対仏大同盟(イギリス中心に革命波及恐れ、フランス大包囲網:1793)

-ジャコバン派の独裁(ロベスピエールの恐怖政治:1793)
-革命政策の実施(封建地代の無償廃止、自作農の創設、ほか)
-恐怖政治への不満
-恐怖政治の終結(テルミドールの反動:1794)

-1795年憲法の成立、国民公会の解散、制限選挙の復活、総裁政府の成立(ブルジョア共和政府)
-政局の不安定化(バブーフの陰謀事件:1796)

-ナポレオンのクーデタ(1799)

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