長時間労働の問題について
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単位労働時間あたりのGDPは、先進国中最低レベルなのではないか、とすら思えます。面倒なので調べてないけど(すみません)、そういうレベルではないでしょうか。

働き過ぎで、本すらろくに読めない、自分で考える時間もない、自分以外の生活スタイルの人たちや課題が想像できない、うまくいくか分からないようなことにチャレンジする気力も余裕もない、多くの日本人は、多かれ少なかれそんな感じになっているのではないでしょうか。

西欧の新技術やコンセプトをただ「消費する」技術力だとしたら、この先は苦しくなっていくことでしょう。

成熟した先進国として競争力を維持していくには、「生産する技術力」から「産み出す技術力」への大きなシフトが必要だと思いますが、新しいコンセプトや技術を生み出すのに、やみくもな長時間労働が寄与するとは思えません。

むしろ、生活体験を豊かにし、創造的な時間を確保することの方が重要でしょう。
また本当に新しいものは、手を動かして失敗を重ねながら、試行錯誤する中からしか、生み出せないと思います。言い換えれば、無駄の積み重ねこそが重要だろうということです。(そこでは、徹底して汗をかくべきだと思います)

日本では生産性を考えるときに、そういった視点がごっそり抜け落ちているのでは、という気がします。
生産性を効率の視点だけで考えられるのは、目指すゴールの明確な、発展中の工業化国の特権であり、日本はそのステージは2~30年前に終えているはずですね。

あるいは、窮屈な教育や社会システムが、個人の創造性をすでに奪ってしまっていて、時間を確保したところで、すでに創造的な活動を出来なくなっているのかもしれません。そうであれば確かに、ひたすらたくさん働くのが、アウトプットを伸ばす唯一の解決法になりますが、それでは自分の人生と引き換えに給料を貰って過ごすようなもので、大変なばかりで実りが少ないのでは、と思います。

創造性を重視した社会へ進むには、もっと男性が働く量を減らして家庭や地域にも貢献し、一方で女性が社会的にもっと大きな役割を担っていく、そういう意味でのバランスが取れた社会にして行く必要があると思います。
また、産業界の新陳代謝を良くして、適切なところに資金、人材が配置される資源の有効配分も、とても重要だと思います。
それをしないまま、すでに付加価値力が落ちている分野を労働時間でカバーしようというのは無謀であり、行き着く先は現代の蟹工船、奴隷労働でしかありません。

それらを考えた時、やはり一番にやらなければならないのは、個人を守るセーフティネットの充実と、労働市場の解放、つまり解雇規制の緩和ということになると思います。
労働市場が解放され、労働力の移動が活発になって初めて、労働に適切な市場価値が生まれ、労働者自らの意思と判断で企業と労働契約が結べるようになると思うからです。
優秀な人材が有望な分野/企業に集まり、将来性のない分野/企業からは人が離れ、全体として効率的な価値創造が可能になるでしょう。

企業側も、本当に効率的な職場を作れなければ、良い労働者を留めておくことができない、ということになるはずです。
終身雇用的に人材を囲い込む雇用慣行により、「労働環境の競争」が正しく機能してこなかった、というのが最大の問題なのではないかと思います。

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