日本社会の変わらない構造について
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公平透明なルールでなく、よくわからない「阿吽の呼吸」や「業界の理屈」が幅をきかせる。
正しい打ち手や論理的な正論が機能しない。

こういった問題が死活問題となって降り掛かるのは、大きな時代の変革期に位置する若い世代です。
何かを進めよう、動かそうにも、見えない論理や慣習が邪魔をして、前に進めない。
ネットで世界の水平化/同時化が進む時代に、そういうブレーキがかかっていては勝負になりません。

こういう状況に異を唱えようとも、世代間の人口差ゆえ政治に若者の意見が反映されることはまず期待できないし、企業のハシゴを途中で降りたりすればワーキングプアの地獄が待つ、となれば、時代遅れな状況があっても、とりあえず黙って耐えるしかない、というのが現状かもしれません。
しかしそれは、無駄が多くアウトプットの小さい人生に同意する、ということでもあるかもしれません。

アウトプットの大きい仕事をして、自分の時間も過ごしたい。
それは贅沢かもしれませんが、日本より遥かにうまく実現している社会もあると思います。
そしてそれらはやはり、幸せな人生を構成する重要な要素だと思いますし、目指すだけの価値のある目標ではないかと思います。

今の日本社会は、どうでもいいこと(年長者のプライドや過度の安定)のために、大事なこと(将来への活力)を犠牲にしているように思えてなりません。

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