キリスト教と自由、そしてイノベーション
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最近読んだものを中心に、個人的にオススメの本を紹介します。
(最近といってもだいぶ前ですが!本当の最近は本を読めていません)
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キリスト教と自由、そしてイノベーション   LV2     Link:no title  
Image By  Irene2005
日本においては、宗教=思考停止、と考えられがちですが、実際はむしろその逆だと思っています。

キリスト教により、本質思考、ゼロベース思考が要求されるようになり、また、合理的な社会運営が可能になると考えています。
(個人の確立/析出により、各人アイデンティティーと社会/組織等の間での心理的癒着が起こらない、などによります)

まず、キリストは、当時の社会の「常識」「多数派」によって裁かれ、殺されています。
つまり、「世の中がこうだから」「みんなそうしているから」で考えや行動が正当化されるということはあり得ない、というのがキリスト教のスタートラインとして存在します。
(日本の真逆ですね!)

一方で、聖書には神の望む大きな方向性は描かれているものの、個別具体的な話(こういう場合はこうすべき、と言った詳細)はほぼ何も示されていません。
結果として、「神の前に正しく」生きようとすれば、全ての物事に対して、何が正しいのか、正しくないのかを自分なりに一つ一つ判断していく必要性(但し聖書の示す方向性に従って)が出てきます。
いくら、「世の中がこうだからそれに従ったまで」と言っても、神の目に正しくなければ天国へは入れなくなってしまうからです。(最後の審判で結局は裁かれることになります)

特に、宗教改革以降のプロテスタントでは、権威を否定し、聖書のみに従って各個人が信仰を貫くべき(万人祭司)、といったベクトルが強いので、何が正しいのか、(常識や権威に頼らず)各個人が必死に考えて結論を出し、行動していくしかありません。

この、信仰におけるゼロベース思考と行動の必要性が、欧米社会の、自由主義や個人主義へと繋がっていきます。
そしてそのような思考、行動様式の積み重ねが文明を前に進め、数多くの発明、発見、イノベーションを生み出してきました。

そしてこれは、日本人がゼロベース思考が苦手(というより出来ない?)理由にもつながっていると思います。
既にあるものの正確なコピーや改善はできても、新たなアイデアやコンセプト、技術や理論、仕組み等を自ら生み出す力は極端に低い、これが現在の経済低迷の原因にもなっています。
何かを実現しようとする際に、常に周囲との関係や制約条件等を優先してしまい、(それらの外側にある)普遍や本質へと真っ直ぐに向かっていくことができない、という日本人の性質は、宗教の不在と無縁ではないと思っています。
(神に従うよりも、組織に従う、という社会原理の弊害は大きく、内部論理の優先は腐敗を生み、既得権益の打破を困難にし、序列や価値観の硬直化を生み、本質的なイノベーションを不可能にします)

日本では欧米における宗教改革のように、主体的に封建システムを乗り越えてきた歴史や、自由を支える精神的基盤を持たないため、「長いものに巻かれる」精神性が未だ強固です。
戦後のアメリカによって与えられた「民主化」「自由化」のレールの上を真面目に走ってはきましたが、あくまでも外から与えられたものであり、自分たちで獲得したものではないため、基盤が脆弱で、また不徹底です。
教育や社会の仕組みも、個人の創造性や才能を伸ばし、発揮させていくというより、集団の一員として足並みを揃える事(従順、均一、没個性)が重視されていますが、これはキリスト教ベクトルの正反対であり、封建的、あるいは共産主義的なベクトルとも言えます。

ちなみに、アメリカがこれまで徹底して共産主義や独裁と戦ってきたのは、それがキリスト教的自由ベクトルの反対、封建的ベクトルだから(マルクス主義は無神論でもあり、それも大きいですが)というのが主な理由であり、資本主義経済と共産主義経済のどちらが優れているか、といった(多くの日本人が気にするような)観点は2の次、3の次の副次的要素に過ぎない、ということも、日本人にはあまり良く理解されていないのではないか、と思います。
(要は神の意思に反し、人間の自由を奪う社会思想や体制を、そのままにしておくことはできない、と考えるのですね。そしてそれは建前ではなく、本心です)

そして最後に、キリスト自身が最高のイノベーターでもあります。
新約聖書において、旧約聖書の戒律主義を、否定することなく、意味を全く違うものに変えてしまう、という究極のイノベーションを行っています。

また、イエス自らが十字架にかかることによって我々の罪が許される、という救いのロジックも、大変イノベーティブなものだと感じます。
最初は「一体どういう理屈だ?」と思ってしまうような奇想天外な救いのロジックなわけですが、旧約、新約を通読するうちに大きな筋書きが見えてきて、半信半疑で信じてみると、どういうわけかちゃんと機能し(救いが得られ)、また信仰によって、ものの見方や感じ方までだんだん変わっていくという感覚は、「神が働いている」としか形容のしようがないものです。
こんなイノベーティブな「救いのシステム」を考え出せる人間が存在するはずがない、ということは、聖書を信じる大きな理由の一つにもなっています。
(そもそも、万物の創造者がイノベーターでないはずがない、わけですが)
そのようなキリストを手本とする欧米社会が変革やイノベーションを大事にするのは、当然のこととも言えます。

さて、聖書に「神に似せて人を作った」とあるわけですが、一体何が似ているのでしょうか?もちろん姿形の話ではなく、第一に「創造する」ということでしょう。
そして、一人ひとりに神によって異なる役割が与えられている、とされますので、キリスト教徒にはその「天命を果たす」ことが人生の目的になってきます。
当然ながら、教育や社会も、そういったもの(創造性、個性、才能)を重視するものになります。
逆に、いかに経済システムとして優れた成果を上げようとも、それら(創造性、個性、才能)を犠牲にするような封建的なシステムは、神の意に反する「悪」と見做され、忌諱されます。
それらが、欧米の一貫した価値観の基盤であり、自由の源泉であり、ここまで文明を前進させてきた原動力でもあるわけです。

また、アメリカの「自由」は、建国時以来の「開拓者精神」に由来するものだ、という理解が日本では一般的だと思われますが、そもそもアメリカとは「キリスト教の精神を最も純粋に具現化するべく」作られた国であり、それが一番の根幹にあるのではないかと考えています。
(アメリカのキリスト教も現在ではいろいろ問題を抱えているように思われますが、建国の理念の中にはしっかり生きているのではないかと思います)
近年は、巨大化複雑化する世界の中で、アメリカ社会内部でも色々問題が増えきているようですが、なんだかんだと前向きに解決していけるのではないか、という希望はまだ失われていないと思います。
それはアメリカ社会のベースに、キリスト教に裏打ちされた「自由への信頼」があるからだろうと思います。

例えば、訴訟が多い社会というのは、自由に付随するコストを積極的に引き受ける社会という意味で、自由の担保された社会と言えます。
訴訟が少ないということは、効率的な社会なのではなく、物事が力関係で決まってしまう社会ということであり、少数派や弱者が対等に戦う手段を持たないということであり、本質的な自由が担保されていない社会である、ということを意味します。
(自由な社会を保障するためには、必然的に訴訟社会にならざるを得ないはずであるわけですが、果たして日本人にそういった意識はあるでしょうか)

そのように、アメリカ社会には様々な形で自由を担保する仕組み、メカニズムが埋め込まれていると思います。
それだけでなく、それらを運用する人々にも「自由を守る」意識が浸透していて、(おそらくキリスト教が生きている限りは)そう簡単には崩れない、という信頼があります。
そしてその信頼こそが、アメリカが世界において圧倒的なリーダーシップを保ってきた理由でもあります。
(従って、アメリカにおけるキリスト教の衰退や変質は、リーダーシップの弱体化を意味し、戦後の「パクスアメリカーナ」が崩れる切掛けになりかねない、大変憂慮すべき事態だ、とも言えると思っています。そして、取って代わるものが中国やロシアの覇権主義、権威主義であっては欲しくないものです)

翻って、日本はそうではなく、一見自由に見えて、裏側にいろいろと封建的な仕掛けが組込まれている、という感じですね。
それでも、宗教のような強い価値軸を持たない日本人は、安全と快適、そしてある程度の自由があればまあそれでよし、という感じで、なんだかんだと受け入れていると思います。
(生活のために一定の妥協は仕方ない、という共通の了解もあると思います)

キリスト教が求める自由は、そのような「所定枠内の一定範囲の自由」(カッコ付きの自由)、といったものではありません。
なぜなら、キリスト教の信仰の中には、まさにキリストがそうであったように「神の命であるならば世界を敵に回してでも道を貫かねばならない」という徹底性、厳しさがあるからです。

キリスト教の「自由」は、そのように重く意味のあるものであり、また、それを守るためなら「命をも投げ出す価値のある」、くらいに重要なものです。
そしてそれが、欧米諸国の「共有する価値」の中心であり、あらゆる連携の基盤でもあります。
ゼレンスキー大統領があれほどに欧米社会の支持を集めることができたのは、そういった「キリスト教の言葉」で話していたから、に他ならないと思います。


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