宗教と時代のパースペクティブ
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最近読んだものを中心に、個人的にオススメの本を紹介します。
(最近といってもだいぶ前ですが!本当の最近は本を読めていません)
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欧米が長い時間をかけて築き上げてきた文明から、意味と目的、歴史文脈を取り去り、無機的な「システムの劣化コピー」をひたすら作ってきた、戦後日本の現在の到達点は、
ただ、金を稼ぎ、飯を食い、子孫を残して生き延びる、それ以外の意味も目的も、いかなる価値も存在しないといった、人類史上例のない「究極の物質社会(快適が全て)」になってしまっていると思います。

いかに忙しく立ち働いていても、その先にあるのが「より良い世界の建設」などではなく、単なる「快適や勝ち負けの追求」に過ぎないならば、それは一種の「堕落」とも呼べるのではないでしょうか。
そして、「より良い世界の建設」について考える上で、現代文明の根幹をなす「聖書の精神」を理解することは、避けて通れないのではないかと思っています。

古今東西、あらゆる文明の根幹にあるのは宗教であり、それを欠いた現在の日本は如何なる文明にも属しない、「準文明」とでも呼ぶべき状態にあるように思います。
(「封建的統治機構」と「世間様」はありますが、「市民社会」の存在自体も大変疑わしい、と思っています)
このような社会に生きて、もし何ら空虚さを感じないとすれば、その人は既に感覚が麻痺しているのではないか、とも思えますし、この世界や人生に何ら(前向きな)意味がないとするならば、少子化が進むのもある意味当然ではないか、とも感じます。

雑然と書き連ねてきましたが、ひとつ言えることは、絶対的な信頼に値するものはこの世には存在しないけれども、ただ一つ、聖書の教えだけは正しいと考えて良いだろうと「感じている」、ということです。

これは理屈ではなく、信仰の体験を通して体感的な確信を得ていくといった性格のものなので、信仰を持たない人に対してその理由を説明する言葉は存在しないのですが、その遥か手前に日本社会に存在する、強固な「宗教の否定、拒絶」に、実際は見るべき根拠がないのだ、ということをどうにか説明し、日本人の聖書理解をブロックする「思考障壁」を取り除く一助となればと、自分の考えを書いてきたつもりです。(何かしら伝えられていると良いのですが)

現在は、日本社会に存在する様々な先入観や偏見を克服し、まずは文明の原点でもある「聖書に帰る」、ということが何よりも求められている時代ではないかと感じています。
聖書抜きの人類歴史、文明などあり得ませんし、聖書の助けなしにはこれからの未来展望もまた、描くことはできないはずだと考えています。
(ユダヤ教(旧約)もキリスト教(旧約/新約)もイスラム教(旧約/新約/コーラン)も、同じ神を崇める姉妹宗教であり、聖書の神(唯一創造主)を信じる人口は世界の半数を優に超えています。この流れが大きく変わるということは今後もあり得ないといって良いでしょう)

また、個人にとっても、人生のパースペクティブを与えてくれる聖書の存在は、混迷の時代に欠かせない重要な役割を担うものであるはずだ、と思います。
そのようにして、文明の原点に立ち帰り一人一人が自分の頭で考えていくこと、そしてその集約により、歴史文明の文脈にきちんと接続する形での、大きな価値を実現していくことこそが、この混迷の時代を生きる我々に残された一筋の光明であるだろう、と考えているものです。

地球環境を持続可能レベルに保つ経済システムへの大シフトなど、これから人類は互いに協力し合い、大きな課題をいくつも乗り越えていかなければならない時代を迎えます。
大きな観点で考え、問題に向かうパースペクティブは、今まで以上に、これからの人類、そして日本人にとってもますます重要になっていくのではないかと考えています。
そして、それを根底において支え、可能にするのは、「聖書の精神」をおいて他にあり得ないと確信しています。

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