働き方(全般)
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働き方に関して気になった記事と、コメントです。

戦後焼け跡から豊かになり、工業化し、情報化まで進んで、色々便利になり効率化も進んだはずなのに、仕事時間は一向に減らない、そればかりか増えてさえいるような日本社会の現状は、一体どうなっているのでしょうか?

一体なんのための工業化/情報化なのでしょうか?本当に豊かになったと言えるのでしょうか?進む方向を間違ってはいないでしょうか?
そろそろ、そういう根源的な問いを真面目に考えていくべき時が来ているのではないかな、という気がします。
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分野や職種によっては、なかなかこのように働くことは難しいかもしれませんが、やはり仕事の原点はこのようなところにあるのではないでしょうか。

しかし、世の中が豊かになり、必要なものはだいたい身の回りにある、という時代になって、いつのまにか仕事の一番の目的が、「世界に価値を提供すること」から、「利益を上げて給料を勝ち取ること」に変わってしまった結果、とても面白みのない社会になってしまってきているのではないかと思います。

大規模生産の工業化時代に、分業と元請/下請の構造が進み、誰もが分解された工程の一部を担うのみとなり、全体観、ものづくりの手応えなどが失われてしまったのではないでしょうか。
いまさら、手工業時代に戻ることはできないでしょうが、新たなテクノロジーの登場などで、違った形での原点回帰が可能になりつつあるのでは、という気がしています。

例えば、IT/ネットの発達による情報伝達や情報処理の飛躍的向上、3Dプリンターなどでのプロトタイピング環境など、個人や少人数でアイデアを形にできる時代が見えてきているように思います。
実際、シリコンバレーからはそのような形でどんどん新しいイノベーションが生まれていますね。

日本の大企業(ホンダやソニーなど)も、もとはと言えば泥臭いものづくりから始まっているし、アップルやマイクロソフトにしても、やはり技術屋のものづくり魂がスタート地点ではないかと思います。
組織が大きくなり、経営の論理がものづくりの論理に優先するようになった時点で、イノベーションが生まれる土壌は失われると思います。
そうなったら、やはりその企業はもう寿命なのであり、新たな企業が取って代わる、活発な新陳代謝がなくてはなりませんね。それが資本主義というものでしょう。

すでに寿命を迎えた産業や企業に多くの有能な人材を縛り付けておくのは、本人達にとっても、世界にとっても、不幸なことです。
なにより、金儲けを目的とした仕事に人生の大部分を費やすのは、あまりに勿体ない気がしますね。

「仕事=喜び」となるためにも、もう一度、原点に戻りたいものですね。
また、そうしたことが可能な社会こそが長期的には成功するのではと思います。
そのための、雇用や経済、教育、働き方など、もう一度考え直してみるべき時期にきているのではないでしょうか。

そうそう、技術者こそ、教養が大事ではないかと思うんですよね。

何かを創る、産み出すということには、創り手の考え方や思考の幅/深さが、そのまま反映されるのではないかと思うのです。(恐ろしいことですが)
そして思考を広げ、視野を広げるのに、一番有効なのはやはり教養なのではないかと思います。物理的な「体験」にはやはり地理的、時間的な限界がありますから。

しかし日本の理系教育は、「使える」技術者を育てることにばかり注力して(あるいはそれもできていない?)、人間としての幅の広さや、思考力、創造力などを育てることをあまりに軽視してきたのではないかと思います。
結果、技術者が、視野の狭い「技術屋」化してしまい、新しいものを産み出すような広く深い思考ができない、一方で忙しさに追われて思考や教養を深めているような余裕もない、そんなサイクルにはまってしまっている気がします。

このサイクルからどう抜け出せばいいのか、簡単な回答はないかもしれませんが、意欲さえあれば、本を読むことくらいはできるのではないでしょうか。古本をamazonで検索すれば殆どが数百円から買える時代です。
いい本と出合う「技術」も重要かもしれませんが、今の時代であればネットがいろいろと助けになってくれるでしょう。
あのビルゲイツも、忙しい中でも年に数回、「シンクウィーク」と称して、日常から離れ、本を読み、考えるために1週間ほど山にこもる、といったようなことを続けているようですよ。平日でも1日1時間以上本を読み、蔵書も1万冊以上だとか。
ビルゲイツより忙しい人もなかなかいないでしょうから、「本を読む時間がない」というのは、結局は優先順位の問題、と言えるのではないでしょうか。

とにかく、いろんな考えを持った、色々と偏った人間がぶつかり合って何かを生み出していく社会が面白いと思います。粒揃いの優等生ばかりの社会からは大事なものは何も生まれてこないのではないでしょうか。


これ、なんとなくわかる気がしますね。
気をつけないと、陥ってしまいがちな罠かもしれません。
自分もよくやってしまっている気がします。
日本の社会でも、我々も身を粉にして働いてきたんだから、あなたたちもそうあるべきだ、というのはありがちではないですか?

しかし、皆が大体同じ方向を向き、同じような生活環境にあった時代はもう過ぎ去りました。
同じ日本に暮らしていても、置かれた状況や生活環境は様々になっているし、世代間の環境も大きく違います。そのばらつきは、これからもさらに開いていくことでしょう。
つまり、他者の事情について大体想像できた時代から、基本的に何もわからない、というのが当たり前の時代に入ってきているのだろうと思います。

そのような時代に、どのように他者と向き合っていけばいいのでしょうか。「理解できるはず」という思い込みを捨て、「理解できるはずがない」をスタートラインにしなければならないわけで、曖昧な「共感」「空気」「和」といった共同体意識をベースにしてきた日本人も、しっかりした自己確立、自己主張と明確なコミュニケーション、そして異質な存在への寛容が求められる時代となるということではないかと思います。


人工知能の発達などで生産性が飛躍的に上がるであろう先に、目指すべきはこれではないでしょうか。1日6時間労働。

成長期の社会では、技術が進み、生産性が上がる分だけ余計に仕事をして、さらなる経済成長を目指してきましたが、それも限界に近づきつつあります。

とにかく徹底的に生産性を高めて、得られた富はルールに基づいてしっかり再分配する。
そして我々は人間らしい暮らしを取り戻す。
そろそろ技術進歩を人間のために使わなければいけないと思います。

特に日本人は、利益の追求や、労働することに対してのブレーキがなさすぎると思います。
宗教などの、生活や経済とは別の価値軸を持たないことで、単一の目標に向けて突っ走ることに疑問がなく、またそうすることへの反論も存在しません。
戦後の成長には良かったかもしれないその特徴は、先の見えない流動的な時代には仇となりかねないと思います。

なにより、経済大国になったはずの日本も、人生は未だ貧しいままという感じで、これが目指してきたものなのか?と思わざるを得ません。「エコノミックアニマル」は、もう卒業してもいい頃ではないでしょうか?
大事なことを忘れず、各人のペースで生きられる社会を取り戻したいものですね。

創造性の高い仕事には、十分な休息が必要ですね。
仕事のやり方を見直しましょう。(笑)

最近見たニュースでは、日本人の睡眠時間は6時間前後が一番多いようで、8時間となると殆どいないくらいのようですが、その睡眠時間では創造的な仕事はできないのではないか、などと思ってしまいます。

通勤時間や、無駄な会議とペーパーワーク、多い飲み会、などで失っている時間をなんとかできれば、十分な睡眠と集中した仕事ができ、アウトプットの質も上がるのでは、と思うのは僕だけでしょうか。

下に、関連記事の参照リンクを貼っておきます。英語の記事もありますが、外国人からの視点が見えて面白いと思うので、興味ある方は読んでみてください。


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