長時間労働と生産性
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生産性の問題を考えることなしに、長時間労働の解決はありませんね。

先進国最下位クラスに落ちている生産性をどうすれば改善できるのか。

低い生産性を労働時間で補う消耗戦から、どうやったら脱却できるのか。

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この記事で触れられていますが、「トップ3カ国(仏、独、米)の労働生産性の水準が日本の1.5~1.6倍もある」そうです。

それだけの生産性の差を、労働時間でカバーしてなんとか現状を維持している、というのが現在の日本社会の姿ではないかと思います。
このような根本原因を見ずに、制度や方法論としての「働き方」をいくら議論しても、問題の解決には繋がらないのではという記事ですが、全くその通りだと思っています。

ではどうしてそんなにも付加価値が低いのか。
日本人が頑張っているのは間違いないと思うのですが、その努力の向かう先がちょっとよろしくない、ということなのだろうと思います。

長らく欧米技術をキャッチアップする中で「いかにやるか」の「How」に特化した努力を続けてきた日本人(企業)ですが、「何をやるか」「なぜやるか」の「What」「Why」を考えることにシフトできず、壁に当たっている、ということだろうと思っています。

まず努力する優先順位を変えなくてはいけないのだろうと思います。how > what ではなく、 what > how の順に力を注がなくてはならない、という基準のシフトが必要ではないでしょうか。当然、教育の内容もそのように変わらなくてはなりません。
今後はAIにより「how」部分の重要性はさらに縮小すると思われますので、「what」「why」の思考力(及び議論力)を鍛える方向での教育、訓練こそが重要になるのだろうと思います。
(もちろん「how」の重要性がなくなるわけではありませんが、「what」「why」を徹底することで「how」部分をギュッと圧縮することが必要なのだろうと思います)

そうなんですよね。
今日までと同じように努力を続けていけば生活水準が維持できる、となんとなく感じている人が多いのではないかと思いますが、冷静に考えれば、このままを続けるなら将来の競争力が相当落ち込むであろうことは容易に理解できます。(労働人口減、借金、社会保障、etc.)

記事の最後にありますが、『高齢者問題に対応するため、日本は世界一生産性の高い経済大国、最先進国となる必要がある』というのが現実でしょう。
現時点でITのインフラが整っていない以上、ロボットやAIで大きく挽回することも難しいだろう、ともありますが、それもその通りなのではないかと思います。

自民党は、現状の維持を目指す政策に傾注しています。現在の主要勢力に寄り添う政党なのである意味当然です。
それに対する野党は、与党の揚げ足取りばかりしているのではなく、世界で戦える高生産性社会へのシフトの青写真を描き、対抗軸として掲げていくべきではないのかな、と思います。

ちゃんとデータとして現状の問題点を示し、対案を次代の社会設計案として組み立てられれば、(持続性観点から問題だらけの)自民党路線に対して十分に説得力のある対抗軸になりうるはずですし、これだけの時代変化にあって、そういった対案が示されていないのはむしろ怠慢ではないかと思います。

そういった議論すら巻き起こっていない現状は『?』でしかありませんね。

単位労働時間あたりのGDPは、先進国中最低レベルなのではないか、とすら思えます。面倒なので調べてないけど(すみません)、そういうレベルではないでしょうか。

働き過ぎで、本すらろくに読めない、自分で考える時間もない、自分以外の生活スタイルの人たちや課題が想像できない、うまくいくか分からないようなことにチャレンジする気力も余裕もない、多くの日本人は、多かれ少なかれそんな感じになっているのではないでしょうか。

西欧の新技術やコンセプトをただ「消費する」技術力だとしたら、この先は苦しくなっていくことでしょう。

成熟した先進国として競争力を維持していくには、「生産する技術力」から「産み出す技術力」への大きなシフトが必要だと思いますが、新しいコンセプトや技術を生み出すのに、やみくもな長時間労働が寄与するとは思えません。

むしろ、生活体験を豊かにし、創造的な時間を確保することの方が重要でしょう。
また本当に新しいものは、手を動かして失敗を重ねながら、試行錯誤する中からしか、生み出せないと思います。言い換えれば、無駄の積み重ねこそが重要だろうということです。(そこでは、徹底して汗をかくべきだと思います)

日本では生産性を考えるときに、そういった視点がごっそり抜け落ちているのでは、という気がします。
生産性を効率の視点だけで考えられるのは、目指すゴールの明確な、発展中の工業化国の特権であり、日本はそのステージは2~30年前に終えているはずですね。

あるいは、窮屈な教育や社会システムが、個人の創造性をすでに奪ってしまっていて、時間を確保したところで、すでに創造的な活動を出来なくなっているのかもしれません。そうであれば確かに、ひたすらたくさん働くのが、アウトプットを伸ばす唯一の解決法になりますが、それでは自分の人生と引き換えに給料を貰って過ごすようなもので、大変なばかりで実りが少ないのでは、と思います。

創造性を重視した社会へ進むには、もっと男性が働く量を減らして家庭や地域にも貢献し、一方で女性が社会的にもっと大きな役割を担っていく、そういう意味でのバランスが取れた社会にして行く必要があると思います。
また、産業界の新陳代謝を良くして、適切なところに資金、人材が配置される資源の有効配分も、とても重要だと思います。
それをしないまま、すでに付加価値力が落ちている分野を労働時間でカバーしようというのは無謀であり、行き着く先は現代の蟹工船、奴隷労働でしかありません。

それらを考えた時、やはり一番にやらなければならないのは、個人を守るセーフティネットの充実と、労働市場の解放、つまり解雇規制の緩和ということになると思います。
労働市場が解放され、労働力の移動が活発になって初めて、労働に適切な市場価値が生まれ、労働者自らの意思と判断で企業と労働契約が結べるようになると思うからです。
優秀な人材が有望な分野/企業に集まり、将来性のない分野/企業からは人が離れ、全体として効率的な価値創造が可能になるでしょう。

企業側も、本当に効率的な職場を作れなければ、良い労働者を留めておくことができない、ということになるはずです。
終身雇用的に人材を囲い込む雇用慣行により、「労働環境の競争」が正しく機能してこなかった、というのが最大の問題なのではないかと思います。

公平透明なルールでなく、よくわからない「阿吽の呼吸」や「業界の理屈」が幅をきかせる。
正しい打ち手や論理的な正論が機能しない。

こういった問題が死活問題となって降り掛かるのは、大きな時代の変革期に位置する若い世代です。
何かを進めよう、動かそうにも、見えない論理や慣習が邪魔をして、前に進めない。
ネットで世界の水平化/同時化が進む時代に、そういうブレーキがかかっていては勝負になりません。

こういう状況に異を唱えようとも、世代間の人口差ゆえ政治に若者の意見が反映されることはまず期待できないし、企業のハシゴを途中で降りたりすればワーキングプアの地獄が待つ、となれば、時代遅れな状況があっても、とりあえず黙って耐えるしかない、というのが現状かもしれません。
しかしそれは、無駄が多くアウトプットの小さい人生に同意する、ということでもあるかもしれません。

アウトプットの大きい仕事をして、自分の時間も過ごしたい。
それは贅沢かもしれませんが、日本より遥かにうまく実現している社会もあると思います。
そしてそれらはやはり、幸せな人生を構成する重要な要素だと思いますし、目指すだけの価値のある目標ではないかと思います。

今の日本社会は、どうでもいいこと(年長者のプライドや過度の安定)のために、大事なこと(将来への活力)を犠牲にしているように思えてなりません。

文中で、『メシ、風呂、寝る』の働き方の改革こそが重要(『メシ、風呂、寝る』から『人・本・旅』へ)、と出てきますが、まさにその通りだと思います。

日本人のライフスタイルのうち、現在ある様々な状況の多くは、戦後の特殊な時代背景の中でその要請に応じて形成されてきたものだ、としています。
背景が変化したにもかかわらず、ライフスタイルが変わらなければ多くの矛盾に疲弊してしまうのは当然です。そして疲弊したままいくら長時間働いても、創造的な仕事ができるはずがありません。

この記事では、そのための処方箋をいくつか示してくれていて概ね賛成なのですが、それらに加えて、

- 労働力の流動化をより積極的に推し進める方策(時代の変化を捉えて素早くイノベーションを起こせる労働環境作り)
- ソフトウェアテクノロジーが牽引する次世代産業の活性化に対する方策(特に技術習得の新たな機会拡充など、継続的に「学ぶ」ことをライフサイクルに組込む必要性が増していると思います)

なども必要なのではないかな、と思います。

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